「人は何かのきっかけが運命的な出会いになることがある。昭和23年、敗戦によるGHQの指導により、日本の社会的地位の低かった看護制度の画期的な改革があり、保健婦助産婦看護婦法が制定された。そのことにより、昭和24年に、県衛生部医務課に保健婦助産婦看護婦係が設置され、保健婦の係長が発令された。この年、私は保健婦として県に就職した。
したがって、日本の看護制度と共に歩んできたことになる。私は、衛生部の所轄である県立女子厚生学院と保健婦規則8条に基づき5か月間保健婦養成講習会を担当した。当時は保健婦の地位は最低で、だれにも話せない憤りが私を保健師活動にのめりこませ「看護が社会的に評価される」その日のために挑み続けた改革の年月であった。」
―2003年9月27日 山梨県看護協会会長退官記念講演より―
生年月日
昭和5年11月4日 山梨県甲州市に生まれる
学歴
昭和22年3月 山梨県立山梨高等女学校 卒業
昭和23年3月 山梨県立女子厚生学院保健師学科卒業 助産師科 修了
昭和31年3月 国立公衆衛生院正規看護学科 卒業
職歴
昭和23年4月 山梨県衛生部公衆衛生課勤務
昭和24年4月 保健婦5カ月養成講習会専任教員
昭和28年8月 山梨県甲府保健所保健婦
昭和30年5月 山梨県立高等看護学院 保健婦学科専任教員
昭和34年8月 山梨県厚生部医薬課看護母子係
昭和38年5月 山梨県日下部保健所普及係長
昭和40年9月 山梨県大月保健所普及係長
昭和42年5月 山梨県小笠原保健所普及係長
昭和45年4月 山梨県甲府保健所普及係長
昭和48年4月 山梨県立高等看護学院教務主任
昭和54年4月 山梨県厚生部医薬課副主幹課長補佐・主幹課長補佐・衛生指導監
昭和61年4月 山梨県立高等看護学院副院長
昭和63年10月 山梨県厚生部参事・高等看護学院副院長事務取扱
平成元年3月 山梨県定年退職
平成5年4月 山梨県厚生部医薬課看護短大・看護大学設置準備室非常勤嘱託
民間団体歴
昭和25年4月 日本看護協会保健婦部会山梨県支部書記長
昭和48年3月 山梨県看護協会常任理事
昭和54年4月 日本看護協会保健婦部会山梨県支部副支部長、支部長顧問
昭和59年5月 日本看護協会保健師職能委員長
昭和61年6月 山梨県看護協会理事
昭和63年5月 日本看護協会保健師職能理事
平成1年4月 山梨県看護協会事務局長
平成1年6月 山梨県看護協会専務理事
平成5年5月 日本看護協会副会長
平成5年6月 山梨県看護協会会長
平成6年12月 日本訪問看護振興財団理事
平成15年6月 山梨県看護協会名誉会長・医療法人笹本会顧問
昭和41年10月 山梨県愛育連合会参与
昭和58年5月 恩賜財団母子愛育会推進本部参与
その他・公職・審議会歴 多数
受賞歴
昭和45年4月 恩賜財団母子愛育会会長表彰
昭和51年5月 日本看護協会長表彰
昭和60年11月 大同生命厚生事業団医学研究学術賞
昭和62年5月 厚生大臣表彰(看護事業功績)
平成4年10月 山梨県知事表彰(高等看護学院創立40周年)
平成5年4月 恩賜財団母子愛育会総裁表彰
平成10年11月 社会貢献者賞
平成13年11月 県政功績者表彰
平成14年10月 甲府市市政功績者表彰
平成16年4月 旭日小綬章
令和2年10月 正六位