はじめのことば
このページは山梨県看護協会名誉会長 望月弘子先生が取り組まれてきたことを、一人でも多くの皆さまにお伝えしたいと思い、作成したページです。
望月弘子先生をご存知ですか?
山梨の看護を語るとき望月弘子先生を抜きにしては語れないといっても過言ではありません。今ある山梨の看護の体系を創り、山梨の看護を育て、亡くなるその直前まで看護界を常に牽引してくださった山梨の看護職です。
望月弘子先生は、2020年6月29日 89歳で激動の生涯を閉じられました。山梨県看護協会は、先生が取り組まれてきた足跡を一つ一つたどり、先生の活動の根底に流れる看護の思想・信念、専門職としての姿勢、物事を動かしていく洞察力と実行力、看護協会活動への熱い情熱を形にしたいと考えました。そして、望月先生の取り組まれてきた看護活動を知ることで、私たちはこれからの看護活動への示唆を得られると思いました。
1948年保健師助産師看護師法が制定され、望月先生はその翌年に県保健師として就職されました。当時は看護職の地位は低く、「あなたの職業は」と聞かれたときに「保健師です」と誇りをもって言えるような職業にしたいという、一貫した信念で常に仕事に挑んできたとよく話されていました。
このページは
- 望月弘子先生のご経歴
- 先生が取り組まれてきた看護活動
- 後輩に残して下さった言葉・思い出
で構成し、順次公開してしていく予定です。このページをお読みになった看護職の皆さまが先生の取り組まれてきた活動を通して、何か今後の看護活動へのヒントに繋げられたら幸いです。
2023年5月24日
山梨県看護協会 会長 佐藤悦子